土手の人

5年前の夏、ひまわりが撮りたくて夕暮れの堤防で構えた。
雰囲気から「土手の人」なんて呼ばれて、そのつかみ所の無い呼ばれ方が少し好きだった。

"何も考えていないような、形の決まっていない温かな柔らかいもの"

「土手の人」はそんなイメージだった。
ひまわりを裏から撮りたい。
西の空を向いているひまわりを、夕暮れをバックにして撮った。
元気なひまわりの印象が、逆にあまりの寂しく写り、そのギャップが好きだった。


自分の気持ちに共感ができなくて、同じ時間が共有できないと思った人は、それを伝えることも無く、どんどん距離を置いていった。
どんどん姿を変えて、どんどん流れていく雲みたいな塊の無い考えについて来ようとする人もなく。
このころは、1人でなんとかできるだろうと思ってた時期だったのかもしれない。
何かを為すには1人ではムリだと知っても、すぐに1人から変えられることもできず。
悶々としていた時間を過ぎて、共有や共感以上に、発想や刺激を受けることを知りました。

今まで置き去ってきたところも、そのままにはしたくなく。
土手で日なたに当たっているような性格でも、それなりに思うところはあったのです。

ひまわりを撮った5年前。
水溜りの雲が撮りたくなったその日でした。